剣道具師の思い出話「垂について」


 垂は剣道具の中で打突部位のない道具です。それ故、面、甲手、胴(胸)のように、あまり打突による衝撃や傷みは重要視しない作りになっています。また具合(使い心地)も面、甲手ほどには気つかわずに作業をします。
 とは言っても胴技が外れた場合などは竹刀が強く当たることもありますので、布団(大垂、小垂、帯布団)は打たれた時の衝撃を和らげる材料を考慮して仕込みます。具合については、特に帯布団は必要以上に硬すぎると腹に馴染まず中心からずれて横を向いてしまう場合がありますので、芯材はあまり硬くないものを仕込んで刺します。寸法については定寸(並寸)が多いですが、肥満体や長身の方には型紙を起こすこともあります。
 竹屋流の型の特長的なところは、大小垂が幾分裾広がりであることです。
 剣道具作りは親方からの指導のとおりに行うことが一番であることは当然です。その教えに、垂でひとつだけ変えた仕事があります。
 私が木更津に独立開業して間もない時期、それはちょうど今頃、新学期が始まったばかりのころです。木更津市 中郷在住の佐久間重男先生からお電話をいただき、先生の先輩にあたる佐久間やわら(どのような漢字か分からず仕舞いです)先生の道具を修理してくれないかとのことでした。訪ねて行きその道具を見ると、私の親方のまだ若い頃の仕事でした。農家の石蔵に永い年月仕舞ってあったものでした。お孫さんが中学で剣道を始めるのにどうかということでした。千葉師範学校の時に誂えたものだと話されていました。剣道にとっては終戦後厳しい年月が続き、先生は剣道解禁後もそのまま使わずにあったようでした。
 面と胴は少し修理すれば使える状態です。問題は甲手と垂です。甲手は頭部位の鹿毛が虫に喰われて紺革を喰い破っていて、まさしく虫食い状態です。垂は5段かがりの処が虫食い状態です。
 実は私共の垂は、かがり糸とかがり糸の間は綿ではなく鹿毛を入れます。鹿毛の特徴は、他の獣毛と違って毛が折れて細かくなり本体隅々まで収まるメリットがあり、甲手と垂には綿(わた)でなく鹿毛を使っていました。
 穴の開いた革と紺木綿を貼り直すことを先ず考えました。但しまた永い時間使わず置くと同じようなことになると思い、親方に事情を話し、垂については鹿毛の代わりに化学綿にしてよいか相談しました。「お前の考えでやってみろ」と了解をもらい、この時初めて親方からの教えと異なる作業をしたことを強く記憶しています。後日、もし親方の時代に化学綿があれば親方も使っていたかも知れないと思ったことを思い出します。
 大変な作業でしたが、利益度外視で修復しました。理由は先ず親方の作品であったこと。それと佐久間やわら先生がその道具に特別な思い出があったことです。
 師範の学生の時、その道具で菅原恵三郎先生に勝利したことであったことです。想像するに、相当格上の相手に勝利したことは、先生には誇りではなかったかと思います。
 当時のことを懐かしく話して居られた姿が今も思いだされます。かれこれ45年前のことです。