剣道具師の思い出話「胴について」

 入門当初の初めての仕事は竹刀の仕立て作業でした。学校の新学期直前の時期で、高校の授業用に納める3.8(さんぱち)の普及品の仕立てです。4月、5月は専ら竹刀の仕立ての作業で3000本ほど仕立てたと思います。徹底して仕事に打ち込むと身につくものだと実感しました。
 次に指導された作業が胴の仕立てです。始めは安価な中学生用や授業用のものです。胸と胴下を取り付ける作業です。
 胸は安価な牛革(西洋鞣し革)に、ごく簡単なかがり糸が施されているもの、胴下はファイバー製で、黒とか赤とかの塗装されたもの、胴下の縁には胸の革と同質の牛革で縁取りをします。始めは胴下の穴に合わせて当たり(胴の穴に合わせて位置を決める)と穴あけを兄弟子にしてもらい、綴じていきます。この作業は左右の小指に力を入れるため、竹刀仕立てで固くなった右ではない左の小指にも豆ができます。
 胴の組み立てが済むと、胴下の四隅の穴に四つ乳革を付けて仕上がりです。只、綴じただけであっても一応完成品になるので、胴を作ったような気分になったことが思い出されます。
 胴の場合、剣道具職人の作業の大半は胸作りになります。甲手作り同様、型を起こし革を裁断し、木綿の布地を糊で貼り、更に厚紙を貼り、型紙を当て、「かがり」と蜀江や刺し目のための穴を空けて行きます。面の顎の作業と大小の違いはありますが、概ね原則同様です。
 蜀江の糸を刺す土台になる部位は、純毛の使い古しの毛布を雲形の内側の形に合わせて3枚から4枚を糊で貼りつけて、蜀江糸で模様を頭に入れて刺していきます。蜀江の刺しが終わると、残り飯(ご飯粒)をガラス板の上で、木のへらで(当時は飯盛りの「木製のしゃもじ」を縦に真二つに切って2本作りました)水飴の状態になるまでよく練ります。その糊で胸の裏革と貼り合わせます。米糊は乾くと石のように固くなり、胸や顎の強度が上がるので、身近なものが接着剤になるものだと感心したものです。
 胸の「かがり」の模様はいろいろなものがあり、普通「雲形」と言います。剣道具店にはそれぞれの形の模様の型があり、その店の特徴があります。
 かがりの作業の際中に純綿の古綿を専用の綿入れ棒で固く詰めていきます。その後、縁を取って始末します。最後に胸乳革を左右に着けて完成となります。
 千葉県警察学校の首席師範であられた糸賀憲一先生に見せていただいた高野佐三郎先生の本に、高野先生が使われていた剣道具の写真(白黒写真)がありました。糸賀先生のその時の言葉「高野先生が使われていた道具がこのような質素なものなのに今、己が使っているものは立派過ぎる。胴などは碁盤刺しくらいのものが相応だよ」と仰っていたことを思い出します。(碁盤刺しの胸は初心者用の胴に付く胸で、装飾はないものです)
 糸賀先生は千葉中(現千葉高)から東京高等師範学校に進まれ、高野先生の薫陶を受けたということです。
 因みに高野先生の時代の道具は実用本位の造りで、華美なものは多くなかったのではないかと想像します。