剣道具師の思い出話「甲手について」

 剣道の技の呼称は「小手」のようですが、私は「甲手」と教わりました。その他「籠手」という方もいるようです。
 甲手の製作は、両手に装着するため左右対(つい)の作業になります。新品の甲手を作る作業は先ず型紙作りから始めます。ただ、いきなり甲手作りは無理です。親方から甲手製作を習うに至ったのは、入門から5年ほど経ってからでした。それまではもっぱら修理作業です。
 修理といってもただ破損部位に革を当てて縫うといったものではありません。親方から当時よく言われたことは「修理と言って雑に仕事するな。修理を新しい道具を作る稽古台と思って掛かれ」です。「壊れた道具を復元するような心構えが肝心だ」と言われたことを思い出します。
 復元するつもりで作業するには、新品をよく観察することが大事です。それと当然相応の技術です。甲手の場合は針<縫う>、包丁<紺反や革を裁つ>、裁ち鋏、毛入れ棒<鹿の毛を詰める>を使いこなせないとなりません。
 作業道具(剣道具を作るために使う工具など)は基本的には剣道具製造のための道具は無く、東京浅草の工具の専門店で希望の型を話して作ってもらい、更に入手後自分の使い勝手に合わせて調整します。針も和裁針では無理で、メリケン針の3種の太さを使います。糸は木綿糸、絹糸、かがり糸、時には化繊糸を部位によって使い分けます。毛詰めに使う道具「毛入れ棒」は、不要になった竹刀を使って2種類の形状に作ります。これらがそろって甲手修理の作業ができます。復元するような仕事です。
 思い返しますと、毎日毎日の修理作業で培った技能が新品の製作に当たって大事であったと痛感します。針<縫う>などは、修理の方が新品製作より却って難しく感ずるところが多いと思います。
 型紙は寸法により様々なものになります。親方の大事にしていた型紙を複製する作業から始めましたが、店がたまたま剣道連盟の賞状の受渡しのお手伝いをしていましたので、永年を経ても受領に来ない賞状で連盟の先生から処分の許可の出たものを型紙の材料にしました。
 正麩糊をガラス板の上でよくこねて3枚重ねて貼ります。乾くと反り返るので生渇きの時点で平らな板に挟み、万力で数日間置き、その後包丁で型に沿って切り自分用の型紙を貰えます。
 思えば、さして仕事のできない者に大事な型をすぐに渡す訳がないのは当然なことです。苦心して改良を重ねて辿り着いたものですから。
 型紙は直接手の甲に当たるところの型と、竹刀の打突を受けるところの2種類を作成します。ちなみに手の甲の当たる部位(内側)の名称を「裏甲(うらこう)」と呼びます。我々が甲手と言うのはこの甲から来ているのかも知れません。表の方は「衣(ころも)」と呼びます。
 以前埼玉県浦和にある鈴木剣道具店を訪ねた折、店の陳列棚に鈴木の親方のお父さん(高野佐三郎先生の高弟)の使われていた甲手が陳列されていて、傍に「竹屋の原点」と書かれていました。その甲手は自分が作っていた甲手とそっくりなものでした。当然なことかも知れません。私の親方は竹屋の中富藤吉親方の一番弟子であり、鈴木の親方は私の親方の弟弟子で、年月は離れていても同じ師匠から仕込まれたわけですから。その甲手は中富親方作のものと思われます。
 竹屋流中富派を再認識したことと、伝統を継承していく義務と責任を強く思ったことを思い出しました。